どうせ落選しないだろうと軽い気持ちで応募したUTMF。
なんと当選してました。
もちろん即入金でエントリー完了!

4月頃にはコロナが落ち着いていて、天候も良く、レースが開催されることを祈ります!
思えば、2019年。
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スタートは雨、レース中は一回も富士山は見えることなく、ひたすら雲と霧の中を走りました。
翌日は雪で中止。私は140km地点のA8二十曲峠でストップでした。
140kmを約28時間かけて走ってきてからのストップ。15時間で残り25kmを走れば良い中でストップ。
残念かと思いきや、正直すごくほっとしたのを覚えてます。
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127km地点、A7山中湖きららに着いたときは大雨で、ものすごく寒くて手袋をスキー用のグローブに変えて13km先のA8二十曲峠に向けてスタートしました。
A7を出発してからすぐに雨が雪に変わった。そして10分後に猛吹雪に変わった。
13kmと言えば近いように感じるけど、雪と山の中ではとてつもなく長く感じました。
木が無い場所は猛吹雪。吹き飛ばされそう風&叩きつける雪でボロボロになりました。
どんどん、どんどん体力が無くなっていくのを実感しました。
パワージェル、チョコを何個も食べても体温が上がらない。けど戻れないし先に進むしかない。
半袖短パンで震えながら走る外人、サバイバルブランケットを羽織って凍えて歩く人、仲間に支えられて震えながら歩く人、青ざめながら歩く人を追い越しました。
私も低体温症になりかけてたので、彼らを抜くときには「次のエイドまでがんばりましょう。」と声をかけるくらいしかできませんでした。
一応、リュックに着替えを持ってきていましたが、ここで着たらすぐに吹雪で冷たくなると思って我慢しました。
(最終兵器があると心が安心するので着ないでよかったです)
スキー用の手袋が無ければ本当にやばかったと思います。
途中、スタッフがいて「次のエイドまで5kmですよ!」と言われたときは絶望しました。
山&雪での5kmは、私のペースだと1時間30分はかかります。「この吹雪の中、まだ1時間30分も走らなければならないのか」と。。。
凍える中、少しずつ進み、やっとエイドまで残り1km。そこにスタッフがいました。
そして、
「次のエイドがあなたのゴールですよ。」
と言われました。中止が決定したようです。
正直、ほっとしました。逆に元気が出てきてしまいました・・・(><)
ついでに写真を撮ってもらいました!(ぶれてますが・・・)

そしてA8に到着。
ストーブの周りには、エマージェンシーブランケットを羽織った人たちで一杯でした。
私は最終兵器の着替えを取り出してすぐに着替えました。(保険で持ってきてよかった!保険って大事!)
しばらくすると、雪が止み、晴れてきました!
なんと富士山が!
レース中止後に富士山が見えるなんて・・・しかも青空!!!

そして、ここからが地獄でした・・・
迎えの車が全然来なくて、忍野村役場まで走って行った方が早いだろうといわれました。
寒い中、5~7kmほどをジョグ&徒歩で行き、なんとか村役場にたどり着きました。
ここからさらに地獄。。。。
すごく寒いのにバスが全然来ない。
本当に寒くて震えて凍えて、ガチガチブルブルの1時間ちょい。みんな死にそうになってました。
やっとバスが来ました。最初は40歳以上専用のバス、15分後に全員OKのバスが来て乗り込みました。
河口湖について、すぐに宿に向かいお風呂に入りました。
そして、翌日は快晴!表彰式に行きました。
テベナールが格好良くて感動しました!そして、2位はトレイルの事故でなくなった大食いのリャン。
本当に残念ですが、天国から2022年のUTMFを見守っててほしいです。